24/06/2026
ハル・フォスター著:アート建築複合態/The Art-Architecture Complex(2014年/原著は2011年)
先立つ著書「デザインと犯罪」同様、アートと建築の批評=批判と当時に、文化批評=批判の書。
「アート建築複合態」というタイトルには、本書の核心を示す、以下の意図が含まれている。
資本主義が文化的なものを経済的なもののうちへと包摂するなかで、いかにしてしばしばそうしたアート・建築の組合せを、客引き=余興の要=地点、そして/あるいは画像表示=展示の場として、再び目的化する動きを駆り立ててきたかを、示すことにもあった。(抜粋)
第一部では、グローバル・スタイルの建築家として、リチャード・ロジャース、ノーマン・フォスター、レンゾ・ピアノを挙げている。彼らの作品は実利的でユートピア的でイデオロギー的でもあるが、下記の言葉で批判している。
グローバルスタイルで最も特徴的なのは、その「陳腐なコスモポリタリズム」。グローバルスタイルを顕著に示す建物は、ローカルな条件とグローバルな要求に同時に応えているが、多くの場合それは、グローバルへの流通のためにローカルなイメージを生み出すといったやりかたでそうされているのだ。(抜粋)
第二部では、アートが出発点となった建築家として、ザハ・ハディド、ディラー・スコフィディオ+レンフロ、ジャック・ヘルツォーク+ピエール・ド・ムーロンらを挙げており、より密接になったアートと建築の接続が、文化的側面を失い、経済的側面(ビジネス利用やブランド化)へと傾倒していることに警鐘を鳴らす。
そう遠くもない昔、前衛的な建築家にほぼ必須だったので、理論との関わりを持つことだった。最近ではそれはアートに精通することへと変わってきている。そうしたアートと建築の接続は、いまやしばしば重要な意義を持ち、少なくとも戦略的な意味ではそうなっている。(抜粋)
第三部では、アートの主流が絵画から彫刻、さらには建築への移行していることを挙げ、アート諸ジャンルの位置づけの再編が進むなかで、建築がその決定的=臨界的な役割を担っているとしながら、アートと接続する建築に対する批判も忘れない。
建築家たちは視覚的な土俵で仕事をしてよいあらゆる権利がある。彼らはそうすることで、アーティストたちよりももっと効果的に取り組める他の問題(プログラム、機能、構造、空間・・・)をなおざりにしているかもしれない(抜粋)
資本主義が文化よりも経済を優先しており、その前線にアートと建築の複合態が晒されていることを指摘する。最終章では、彫刻家:リチャード・セラとの会話を「イメージに抗する建設」として紹介し、コルビュジェのロンシャン教会堂から大きな影響を受けるセラの言葉を引用する。モダニズムの明るい軽やかさや構造上の透明性、視覚的なイメージではなく、セラの彫刻作品の身体に訴えかける、場所に根差した動的で重厚な力に、経済から距離を置こうとする文化復活の可能性を見出している。
現代の材料や技術は明るく軽やかになる傾向にあり、そうした明るい軽やかさは、建築にくわえてアートにも影響を及ぼしてきた。とりわけ、それは材料面での潔癖さや構造上の透明性というかつての価値の再評価を強いてきたのであり・・・(中略)今日モダニティの必須のイデオロギー素となっている、明るい軽やかさは、モダニズムに見られたいかなるものも越える抽象を支えるにいたっている。そして、それは、サイバースペースや金融システムの抽象と波長を通じたものと言われているのだ。(抜粋)
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